20150427

微分に関する覚え書き first quarter moon

微分に関する覚え書き first quarter moon




短縮版をどの程度圧縮するかは、さておき、









電磁現象とニュートン力学の整合性が取れなかった理由は、
xy平面で思考したこと。

単純な見逃しをしたこと。


潜望鏡を海面上に突き出す。

大海原に、敵輸送艦1隻。

この一瞬の画面だけを考えよう。






細かいことは成立した後、数学者にやってもらうこにして、

速度とは、2点間の距離、なんらかの目印が移動した距離を、
例えば、東京駅で新幹線に乗って、京都駅で降りる。

2点間の距離は、時刻表に鉄道営業距離が出てるから、
それを知識(象徴的な事柄。誰かが測定したり、数字にしたこと。)
として使って、


距離÷時間(乗車時刻と降車時刻の腕時計時刻差)=速度

体験した速度:赤色で表現 想像界の現実的なもの

想像界の現実的なことと言うべきかな。ま、ここらへんは適当。
ものとかこととか、「身分け」とかは、納得いかないけど、
丸山圭三郎から。学んだ。もちろん本からだけど。

ルービックキューブが裏返ったり、

風船という閉じた空間を外から眺めるのと、
突然、眺めていた風船に閉じ込められて風船を見る感じ。

ルービックキューブを爆縮して点になってから裏返したり、

構成する部品を個別に有限範囲裏返したりと、

わけわからんことを「身分け」については言わなきゃならんし、
その記憶を回復させるのは面倒なんで、

いま必要な、物理の失態訂正に必要な範囲じゃないんで飛ばすけど、

爆縮というか、その過程にねじれのあるものとか。


サイコロには光学異性体がある。の、分かるかな。

面倒だから図はさぼらせてもらうけど、
一般の方々用のときは、成立して、権威ある風になってる頃には、
ちゃんと図を載せるか、誰かにやってもらうにして、

いまは言語能力のある方、向け。
言語能力があって、多少、空間認識がある方向け。で、さぼらせてもらう。


正四面体を考える。
正三角形の4つの面で空間が閉じている。

その1つを取っ払い、箱から壺にする。

部屋を立方体と見做して、壁を1つだけ取っ払う。

同じことだが、展開図の種類、を少なくしたいので、正四面体。


サイコロなら赤い目玉をガラスの入ってない窓枠にしてもいい。



展開図に番号を降る。1,2,3。正三角形に。
裏面に、1の裏面には漢数字の「壱」。
同様に、「弐」、「参」

正四面体を作る。

展開図から正四面体を作るんだけど、
工作の作るんじゃなくて、「造る」と表現したら、
建物な感じになるかな。


表の算用数字の1,2,3を見ながら、
厚めの画用紙でできた展開図から正四面体を作って、

壺の注ぎ口、蓋があれば閉じるとこ。
存在しない面を机の表面に接しさせる。


このとき真上から見ると、時計回りに1・2・3と読めるときと、
反時計回りに1・2・3が読めるときがある。

展開図に数字を描くとき、特に指定しなかったからね。



で、さあ、厚めの画用紙じゃなくて、
展開図がダンボールでできていて、
ベニヤ板でもいいや。

己の身長の何倍もあるの。2倍から3倍でいいよ。

このとき、首を回せば、



表の算用数字の1,2,3を見ることができる気分で、「造る」の。

サイコロなら、側面が2,3,4,5で天井が6。
赤い目玉を底面にして造る感じで壁ができる。

作業者はプラネタリウム内の空間にいる感じ。



身長の1億倍の大きさで正四面体を「造る」と言った方がいいかな。

包まれ感が出てくる。



数学や物理を考えるとき、この閉じ込められるって感覚が、
思考実験に最初っからないのよ。学者には。

イメージから自分の身体の大きさがすっぽり抜けていて。


俺身長1m67だけど、大女ともやりたいな、と。



広尾の有栖川公園にある東京都立中央図書館。
そこで読んだけど、工作物は、壺と棒のどちらかに分類されるってのが、あった。
どの本かは忘れた。

ほんとか嘘か知らないけど、爺さんだか曾祖父さんのときは、
あそこら辺、有栖川公園近くに土地持ってた、酒飲んで潰した。
島根の田舎のが、なんで武家でもないのに東京に土地もってたことになるかは
知らんが。

ま、金がありゃ人生違ったろうが、話戻して、

こっちは短縮版を出す為の、ダダ漏れをしてるんで、



俺、閉所恐怖症ってわけでもないんで、
閉じ込められるって感じで気付いたわけじゃないんだが、

見たものは、見えたものは、己から離れてるってことが、
高校のときからあったわけさ。

マイケルソンとモーリーの実験で、あのズラしが変だってことは
すぐわかったんだけど。


それが1995頃、もう2年ぐらい前かもしれん。
窪田登司
http://www.d1.dion.ne.jp/~kubota_t/ein-kubota.html

下北沢駅大丸ピーコック前の書店、その2階に
http://tamagazou.machinami.net/shimokitazawa.htm

















上がったすぐのとこにあった窪田登司氏の本を立ち読みしてから購入。
1-cosθがどうのこうの。その長さをどこから見てるんだ。

これは解ける問題だって気付いたわけだよ。
当時、狂っていても手段が見つけられなかったわけだが、
これなら名を得る手段になると。

まあ、俺の狂いについては、いまやることじゃないし、
どうでもいいし、隠すかもしれん。

ま、分析対象としての俺は、それなりにおもしろい。

とにかく、名を得ること。
正確には、名を得ることではなく、

わかってるものには、語る必要もないこと。

そのわかっているものを動かすにはどうすればいいか。



で、話を戻そう。




距離÷時間(乗車時刻と降車時刻の腕時計時刻差)=速度

体験した速度:赤色で表現 想像界の現実的なもの


東京から京都に新幹線車両という閉鎖空間で、
腕時計と一緒に旅をした場合の速度が赤色。



色の三原色は、なんか2つあるみたいだけど、

「色光の三原色」と「色料の三原色」があるみたいだけど、

青緑赤で、

想像界の{象徴的なもの・想像的なもの・現実的なもの}を
区分けする。

イメージってのは、座標でする象徴的なものと、
視野狭窄状態でする想像的なものと、
実験物理学、まあ、机上の空論じゃない、器具を使った現実的なもの、

が、あるんだ。


ま、ほんとはややこしい成分の絡みがあるみたいなんだけど、
哲学的な話するわけじゃない、物理の単純ミスを紹介するだけなんで、

ザバっと。





東京駅の駅長さんと、京都駅の駅長さんが時刻合わせをしてたら、

腕時計の人物が新幹線に乗った時刻と降りた時刻から所要時間がわかる。

東京駅ホームの電光掲示板は時刻表みたいなもんで、

















http://blog.livedoor.jp/shink_love/archives/51229740.html

でも、時計でもある。













https://www.youtube.com/watch?v=xOj8v1vIJp0


距離÷時間(東京駅と京都駅ホームの列車出発到着時刻差)=速度

設置された装置から演算した速度:青色で表現 想像界の象徴的なもの


東京駅の駅長さんは、京都駅で腕時計をした人物の降車を
リアルタイムで見ていない。

京都駅の駅長さんがiPhoneで降車映像を送ってくれるんだけど、
電磁波は有線だろうと無線だろうと、瞬間では情報は届かない。

それに映像情報ってのはフェイクかもしれん。
他人がした噂話と同じ信頼性しかない。

要は、知識。情報ってのは、生身の眼で確認してないものは他界からの知識。
ホントにあの時、京都駅の駅長さんは存在していたのか、
東京駅の駅長さんは知らない。

後日どっかで会ったら、転送で複製された京都駅長さんじゃないとしても、
ま、あの時、京都の駅長さんが生身の眼で確認したことを本気で信じていても、
ま、その京都の駅長さんの記憶も、合成されたものかもしれんしね。



そこでだ。


宇宙から、人工衛星軌道、静止衛星から東京駅と京都駅。
その駅間にある有限個の枕木群にも時計を埋め込んで観察すればいいじゃん。

観測じゃないぜ。観察。同時性の観察。


駅のホームの時計で、新幹線が動き出した時刻を確認できるし、
列車番号が、のぞみ何号とか電光掲示板に書いてあるし、
車両にも番号が書いてあるだろうから、

動き出した列車と時刻表に記された列車との同一性が確認できるし、
予定発車時刻とのズレもわかる。

ま、いまは、物理の実験だから、予定発車時刻とのズレまで気にしないで
いいかもしれんけど。





「魚雷発射。」


敵輸送艦がこちらに気付いていなければ、
計算して、敵輸送艦未来位置に魚雷到達時間を演算して

見えた方向じゃないとこに、魚雷を発射。

敵が鈍(のろ)い輸送艦じゃなくて、高速巡洋艦だったりして、
敵もこっちに気付いていたら、

魚雷いくつか同時に放射状に発射。




ま、東京駅と京都駅を結ぶ線路は、静止衛星に対して動いていないから
そこまで考えることないけど、

物理って、ブラウン運動がある世界だからね。

理論じゃ、線路に対して静止衛星は動いてないと
数学みたいに宣言で済ませるけど、

実験物理学じゃ、そんなの机上の空論。
ローレンツ変換のローレンツやアインシュタインがやった思考実験は数学。

観測とか観察する側が動いていないと信じていた天動説と同じ。





動くとはなにか。


観察対象の下り列車は線路に対して動いている。
観察側だって、線路上に立っているだけでなく、

上り列車から下り列車を観察する場合も考慮しなきゃ。



ガリレオの相対性原理は、加算が可能だから、ちゃんとやってるぜ。
ま、ガリレオの相対性原理は、対象の存在を扱ったのに対し、

電磁現象の世界じゃ、対象の存在じゃなくイメージを扱うことになるんだけど。


ま、その説明は短縮版の本編で味わってもらうとして、

動くとはどういうことなのか。




ゼノンのパラドックスに、その師匠のパルメニデス。
存在が動くということがあるのか、ということを考えたらしい。


ここに、「存在とイメージと見かけ」を導入する。
「等時と同時と経過時間」という概念も導入する。

さらに、「点と線分と直線」をどう認識主体は区別しているかを使う。


存在が動くのかどうかは哲学者に任せて、

ここでは、イメージが動いていると認識できる条件とはどうのようなものか、
探ってみよう。



で、冒頭の twitter 引用。